ロドニー・ミューレン:トリック発明の軌跡と“34勝1敗”の伝説

ロドニー・ミューレン:トリック発明の軌跡と“34勝1敗”の伝説

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はじめに:フリースタイルの神様と呼ばれる男

ロドニー・ミューレン(Rodney Mullen、1966年生まれ)は、スケートボード界で「史上最も影響力のあるスケーター」と評される伝説的人物です。彼はフリースタイルスケートボード競技で驚異的な戦績(35大会中34勝)を残しました。また、“平地のオーリー(フラットランドオーリー)”をはじめ、キックフリップヒールフリップインポッシブル360フリップなど現代スケートボードの基礎となる数多くのトリックを発明したことで知られています。その功績から「ゴッドファーザー」とも称され、スケートの発展に大きな役割を果たしました。以下では、ミューレンが生み出した技、そして彼の大会成績と圧倒的強さの秘密に迫ります。

ロドニー・ミューレンが発明したトリック

ミューレンは10代から20代にかけて無数の新しいトリックを次々と考案し、実践してきました。彼が生み出した主なトリックを、発表年とともに可能な限り紹介します。各トリックには、その特徴や誕生した当時の状況、映像記録の有無などの情報も付記します。

  • ゴジラレールフリップ (Godzilla Rail Flip)1979年考案。デッキ(板)をレールスタンド※の状態から一回転ひねりつつ戻す高難度技。13歳のミューレンが早くも披露したオリジナルトリックで、その名称は圧倒的インパクトから名付けられたと思われます。
    ※レールスタンド:デッキを横に倒し、側面(レール)に足を掛けて立つ姿勢。
  • 540ショービット (540 Shove-It)1979年考案。ボードを横方向に1回転半(540度)回転させるトリックです。従来の180度や360度を超える大回転技で、ミューレンはこの頃から既に空間認識とバランス感覚に優れた才能を発揮していました。

  • 50/50サランラップ (50/50 Saran Wrap)1979年考案。片足でデッキを半回転させてまたぎ、再びデッキに乗るトリック。フリースタイル特有の足さばきの妙技

  • 50/50キャスパー (50/50 Casper)1980年考案。片足をデッキの裏面に掛け、もう一方の足でテールを踏んでデッキを浮かせるキャスパースタンドから派生するトリック。名前の「キャスパー」は幽霊のキャラクター名に由来し、板が宙に浮いた不思議な姿勢から命名されているそう。

  • ヘリポップ (Helipop)1980年考案。ノーリーから360度回転するトリックで、後に「360ノーリー」の先駆けとなりました。ヘリコプターのように身体とデッキが水平回転することから命名されたそう。

  • ガゼルフリップ (Gazelle Flip)1981年考案。ライダー自身が360度、ボードが540度回転する複合技で、当時これを完璧にメイクできたのはミューレンだけだったそう。

  • ノーハンド50/50(No-Handed 50/50)1981年考案。手を使わずにデッキの側面に立つ50/50を行うバランス技。

  • ノーハンド50/50キックフリップ1981年考案。上記ノーハンド50/50の状態から板をキックフリップさせて戻る連続技。当時としては極めて斬新だったそう。

  • フラットランド・オーリー(Flatground Ollie)1981年考案。地面を蹴って板とともに宙に跳ぶ「オーリー」を平地で可能にした歴史的トリックです。元々オーリーは1970年代にアラン・ゲルファンドがランプ/プールで発明した技でしたが、ミューレンはそれを平地で再現する方法を編み出しました。彼の平地オーリーはテールを叩き、前足で板を引き上げる現代的手法の原型で、ストリートスケート誕生の礎となりました。初披露は1981年の大会とされ、Bones Brigadeのビデオ「The Bones Brigade Video Show (1984)」などでも見ることができます。

  • キックフリップ (Kickflip)1982年考案。オーリーの途中で足先を使い、板を縦軸に一回転させるトリックで、現在最も基本的なストリートトリックの一つ。ミューレンが生み出した現代的キックフリップの登場により、スケートボードは新たなトリック時代へ突入します。

  • ヒールフリップ (Heelflip)1982年考案。ミューレンはキックフリップに続きヒールフリップも立て続けに開発し、こちらもフラットランドで世界初の成功者となりました。

  • ダブル・ヒールフリップ (Double Heelflip)1982年考案。ミューレンは単なる基本技に留まらず、複数回転ものにも挑戦し成功させました。

  • インポッシブル (Impossible)1982年考案。あまりの難しさゆえ「不可能(Impossible)」と名付けられました。ミューレンはこの技を世界で初めて成功させました。

  • サイドワインダー (Sidewinder)1983年考案。デッキを横に倒しレールに足を掛けて半回転させる、レールスタンド系ショービットトリックです。

  • 360フリップ (360 Flip)1983年考案。現在では「トレフリップ」としてストリートの定番技となっています。ミューレンはこれを世界で初めて完成させ、ストリートスケーターたちにも多大な影響を与えました。

  • スイッチ360フリップ (Switch 360 Flip)1983年考案。ミューレンは既に80年代にスイッチでのトレフリップにも挑戦していました。この技は後の世代に「スイッチでも同じ技をできてこそ一流」という認識を植え付けるきっかけとなります。

  • 360プレッシャーフリップ (360 Pressure Flip)1983年考案。テールを強く踏み込む“プレッシャー”だけで板を360度フリップ回転させる技です。このテクニックは90年代にストリートで流行するプレッシャーフリップ系統の嚆矢となりました。

  • キャスパー360フリップ (Casper 360 Flip)1983年考案。キャスパースタンドの体勢から板を360フリップさせて戻す複合技で、大会では成功すれば高得点間違いなしの大技として恐れられたそうです。

  • ハーフキャブ・キックフリップ (Half-cab Kickflip)1983年考案。ストリートでも定番のこの技を80年代に既に完成させていた点で、彼の先見性が伺えます。

  • 50/50サイドワインダー (50/50 Sidewinder)1983年考案。レールスタンド(50/50)の姿勢からサイドワインダーの動きを行うトリックです。

  • ワンフット・オーリー (One-Footed Ollie)1984年考案。ミューレンはオーリーにさらなるスタイルを加える形でこの技を開拓しました。

  • バックサイドフリップ(Backside Flip, バックサイド180キックフリップ)1984年考案。現在ではストリートの定番トリックの一つです。以後、多くのプロスケーターがこぞって真似る技となりました。

  • オーリー・ノーズボーン (Ollie Nosebone)1986年考案。技名の「ノーズボーン」はノーズが骨のように突き出る姿勢から来ています。もともとはバートでエア中に行う技でしたが、ミューレンは平地のオーリーでもこれを実現しました。

  • オーリー・フィンガーフリップ (Ollie Fingerflip)1986年考案。手を使うトリックはフリースタイルでは珍しくありませんが、オーリーに組み合わせた点が革新的だったそうです。

  • オーリー・エアウォーク (Ollie Airwalk)1986年考案。元々エアウォークはTony Hawkらがバートで広めましたが、ミューレンは平地のオーリーでこれをやってのけました。

  • フロントサイド・ヒールフリップ・ショービット1988ー1990年?考案。現在のバリアルヒールフリップと同一で、ミューレンが1980年代末に編み出しました。キックフリップ版のバリアルは既に存在していましたが、ヒールフリップ版は珍しかったそう。

  • ヘリポップ・ヒールフリップ (Helipop Heelflip)1990年考案。ノーリー360°(ヘリポップ)にヒールフリップを組み合わせた大技です。ミューレンはこれを自身のビデオパートでメイクし、観る者を唖然とさせました。

  • キックフリップ・アンダーフリップ (Kickflip Underflip)1992年考案。ミューレンは片足で板をフリップさせ、もう一方の足で空中の板を蹴り返すという離れ業を世界で初めて成功させました。このトリックは彼以外に成功するスケーターは長らく現れませんでした。

  • ハーフキャブ・キックフリップ・アンダーフリップ1992年考案。ハーフキャブにキックフリップアンダーフリップを組み込んだ超絶トリックです。

  • キャスパースライド (Casper Slide)1992年考案キャスパーの姿勢で地面をスライドするトリックです。ミューレンは静止技だったキャスパーにダイナミックな動きを加えることに成功しました。

  • ダークスライド (Darkslide)1992-1993年考案。板を裏表逆にしてレールやレッジをスライドするトリックです。実はこのアイデア自体はマーク・ゴンザレスが発案していたとも言われますが、実際に完遂したのはミューレンでした。

  • プリモスライド/グラインド (Primo Slides/Grinds)1992年考案プリモはフリースタイルの先駆者ロドニー・“プリモ”・デジデリオに由来するレールスタンド技の愛称で、ミューレンはそれを動的なスライドやグラインドに発展させました。

  • ハンドスタンドフリップ (Handstand Flip)1992年考案。逆立ち(ハンドスタンド)の姿勢から板を回転させて乗るフリップ技です。

上記は主にミューレンが1990年代初頭までに発明したトリックですが、彼のクリエイティビティはその後も衰えず、2000年代以降も新たな動きを生み出しています。例えばMullen Spinと愛称される独特のスピン技や、Impossible 360Backside Impossibleといった発展型トリックを2010年代に発明しています

以上がロドニー・ミューレンの代表的な考案トリックの一覧です。これらの技は当時としては考えられないものばかりでしたが、彼は大会やビデオを通じて世界に示し、スケートボードそのものを進化させていきました。次章では、そんな彼が残した大会成績について詳しく見ていきます。

 

フリースタイル大会での圧倒的戦績(1980年代)

ミューレンが輝かしい戦績を残したのは主に1980年代のフリースタイルの舞台でした。彼は10代後半から20代前半にかけて、プロのフリースタイル大会に35回エントリーし34回優勝するという驚異的な記録を打ち立てています。敗北はわずか1度きりで、しかもそれは同じチームBones Brigadeに所属していた盟友パー・ウェリンダーに敗れた時だけでした。この章では、ミューレンの主な大会出場履歴と勝敗を年代順に整理します。

  • 1980年オアシス・プロフリースタイルコンテスト(サンディエゴ): ミューレンにとって初のプロ大会。この時わずか14歳でしたが、当時の世界チャンピオンであったスティーブ・ロッコを破って堂々の1位に輝きました。この勝利によって早くもその才能が認められ、彼は伝説的チーム「ボーンズ・ブリゲイド」への加入を果たします。(ボーンズ・ブリゲイドについて詳しくはこちらの記事をご覧ください)

  • 1981年各種フリースタイル選手権: 詳細な大会名は資料によって異なりますが、この年ミューレンは複数の国内大会で優勝を収め、世界レベルでも頭角を現しました。例えば西ドイツ・ミュンスターで開催されたコンテストや全米選手権でもトップの成績を収めたとされています(当時のスケート雑誌『Thrasher』などに結果が掲載)。この頃には既にフラットでのオーリーや新技の数々で他を圧倒する存在でした。

  • 1982年フリースタイル世界大会(推定): 正式な大会名は明確ではないものの、1982年前後に開催された世界規模のコンテストでもミューレンは優勝を飾ったと伝えられます。彼はこの年、自身初の“ワールドチャンピオン”の座についた可能性が高く、以降「世界王者」として君臨することになります。

  • 1983年フリースタイル世界選手権(ストックホルム or ロサンゼルス): この年のみが例外となったミューレン唯一の敗北の大会です。パー・ウェリンダーがミューレンを抑えて優勝し、ミューレンは2位に終わりました。当時の観客やメディアは大番狂わせに湧きましたが、実際にはミューレンが「珍しく本調子を欠いていた」ためとも言われます。この結果にショックを受けたミューレンは一時競技から引退し1年間姿を消します。しかし翌年にはシーンに復帰し、以降は再び不敗の快進撃を続けました。

  • 1984年カリフォルニア選手権 / 他: 復帰したミューレンは各地のフリースタイル大会で連勝を重ねます。1984年開催のプロコンテスト(例: マジックマウンテンでの大会や全米選手権)でも優勝し、再び世界トップの実力を見せつけました。Bones Brigadeとしての活動も活発になり、この頃リリースされたビデオで彼の技を見ることができます。

  • 1985年NSA全米選手権(デルマー “Showdown at the Ranch” 他): 1985年にはNSA(全米スケートボード協会)主催の大会で優勝を飾っています。特に有名なのがカリフォルニア・デルマーで行われた「スプリングフリング」や「ショーダウン・アット・ザ・ランチ」といった大会で、ミューレンは安定した演技で1位を獲得しました。この年、彼は映像作品『Future Primitive』に出演し、競技シーン外でも注目を集め始めます。

  • 1986年ワールドエキスポ’86(バンクーバー): バンクーバーの世界博覧会のイベントとして開催されたフリースタイル世界大会にて、ミューレンは満点に近いスコアで優勝したと言われます。事実、映像には彼が完璧なルーティンを披露し高得点を叩き出す様子が残っています(後のインタビューで「自分でも最高の演技だった」と語っています)。同年、NSAのプロシリーズ戦でも軒並み優勝を収めており、この頃には「ミューレンに勝つことは不可能」とまで評されました。

  • 1987年~1988年全米・世界主要大会: フリースタイル人気が最高潮に達したこの時期、ミューレンは米国内外の主要大会で優勝をさらい続けました。例えば1987年のカリフォルニア・カーソンVelodromeでの大会、1988年の全米ファイナルなどでも首位に立っています。どの大会でも彼は毎回新しい技を披露し観衆を驚嘆させ、「今日のミューレンは何を見せてくれるのか」が最大の見所になるほどでした。

  • 1989年最後のフリースタイル公式戦: 1989年頃になるとフリースタイル競技自体が下火になり始めます。ミューレン自身、この年を境にフリースタイルコンテストから距離を置きますが、それでも出場した大会では優勝を収め有終の美を飾りました。彼は同年、古巣のBones Brigadeを離れ、盟友スティーブ・ロッコの立ち上げた新興ブランド「ワールド・インダストリーズ」に移籍します。これは競技シーンからビデオ主体のストリートシーンへ活動の軸足を移す転機でもありました。

このように、ロドニー・ミューレンの競技成績はまさに無双と呼ぶべきものでした。35戦34勝1敗という前人未到の記録はスケートボード史上最も偉大な競技キャリアとされています。では、なぜ彼はこれほどまで圧倒的に勝ち続けることができたのでしょうか。次の章では、その秘密をスポーツ科学的視点から考察します。

 

圧倒的強さの秘密:“34勝1敗”を支えた身体と技術

ロドニー・ミューレンが驚異的な戦績を残せた背景には、卓越した身体能力と鍛錬方法、そして創造性があります。それらをスポーツ科学や動作理論の観点から紐解きます。

1. 驚異的な動作学習能力と反復練習の賜物

ミューレンの強さの根幹には、生まれ持った運動学習能力の高さと膨大な練習量がありました。幼少期、彼は足の変形矯正のために特殊なブーツを履いて寝ていましたが、それにもかかわらず「信じられないほど足先の器用さを持っていた」と言われています。10歳でスケートボードを始めると、彼はすぐにその才能を発揮し、日々何時間もガレージで練習を重ねるようになります。ミューレンは「狂ったように毎日練習した」と語るほど没頭し、一つひとつの動きを身体に染み込ませていきました。動作学習理論においては、反復による自動化が熟達への鍵とされますが、彼はまさにそれを地で行く存在だったのです。

更に彼の練習方法は同じ技を繰り返すだけでなく、環境に応じて微妙に変化を加えながら習得していくスタイルでした。これは「非線形な動作学習」とも言え、毎回少しずつ条件を変え試行錯誤することで、パターンの引き出しを増やす手法です。例えば同じフリップ技でも路面や板の状態によって微調整し、いつでも成功させる適応力を身につけていました。こうした高度な動作学習と反復練習が、コンテスト本番での安定感と創造的な技の引き出しの多さにつながったのだと考えられます。ミューレン自身、TEDトークで「Context shapes content」と述べ、状況に応じて技を磨いてきたことを示唆しています。

2. トリックの分解と膨大な練習

彼はトリックを行う際、動きをいくつもの「サブ動作」に分解して捉えているといいます。例えば360フリップなら、「飛ぶ」「板を弾く」「足首でフリップする」「板が回転する」「キャッチして着地する」といった具合です。ミューレン曰く、「全てのトリックは2つ3つ、あるいは4つ5つの動きの組み合わせでできている。それらサブ動作が自然と結びついてひとつの技になる」といっています。空中での姿勢制御時間はわずか数秒にも満たないですが、その間に彼の脳と神経は瞬時に判断を下し体を動かしています。

実際、彼の演技をハイスピードカメラで分析すると、板の回転に対し足を出すタイミングやキャッチの反応が非常に早く正確であることが分かります。これは膨大な練習によって「身体が勝手に反応する」領域まで達しており、コンテスト本番のプレッシャー下でも失敗が極端に少ない要因と考えられています。

また、彼はしばしば「フロー状態」に入って滑っていたとそうです。ミューレンは新技に挑戦する中で高い集中力を発揮している瞬間を「直感が働き、頭で考えるより先に体が動く境地」と表現しています。この境地に達することで、プレッシャーのかかる大会でも実力を遺憾なく発揮できたのでしょう。

3. 体格と姿勢

ミューレンの体格はプロスケーターの中ではやや小柄で細身ですが、それがフリースタイルにおいて有利に働いた側面もあります。軽量で重心のコントロールがしやすく、瞬発力のロスが少ないため、板を回転させたり自分が回転したりする動きにキレが出ます。さらに、足首の柔軟性と可動域が広く、トリックの着地衝撃を吸収したり崩れた姿勢から立て直したりするのにも優れていたと考えられます。

また彼は非常に猫背で低い姿勢をとる独特のスタイルを持っていましたが、これは重心を下げ安定性を高める効果があります。フリースタイルでは繊細なバランス感覚が必要な技が多いため、低重心で膝を柔軟に使える姿勢は理にかなっていました。彼のスケートを見ると常に膝が深く曲がり、上体が板に近づいていることが分かります。この姿勢制御により、万一バランスを崩しても即座にリカバリーできたようです。

さらに細かな点では、ミューレンはトリックの際に腕の振りを利用して遠心力慣性を調節していました。例えば横回転する際には腕を身体に引き寄せて回転速度を上げ、着地時には広げて減速するといった具合です。これはフィギュアスケートのスピンと同様の原理ですが、彼はそれを無意識に体得して、動きの物理法則を味方につけていたことが、安定したトリック成功率の高さにつながっていました。

4. 創造性とモチベーション

もう一つ忘れてはならないのが、ミューレンの創造性とそれを支える強いモチベーションです。彼が毎回コンテストで新技を繰り出せたのは、「新しい動きを創り出すこと」自体に大きな喜びとモチベーションを感じていたからです。スケートボードにおける学習は自己流で行われることが多く、トップスケーターほど自ら課題を設定しそれを攻略するなかで上達していきます。ミューレンも例に漏れず、他者に勝つこと以上に、自分自身が納得する創造的なトリックを完成させることを目的に滑っていました。

さらに、フリースタイル当時は競技人口も少なく「自分との戦い」の側面が強かったことも、彼の性格に合っていました。極度の恥ずかしがり屋であったミューレンは、観客の前でも自分の世界に没入して滑ることができたと言われます。他の競技者に勝つというより、自分の創意工夫を観衆に見せる場として大会を捉えていた面もあります。

以上のような要因が複合的に絡み合い、ロドニー・ミューレンというスケーターの無敵神話を支えていたと考えられます。彼の身体能力・練習・精神のすべてが高次元で噛み合った結果、“34勝1敗”という記録は生まれました。その偉業はスケートボードの枠を超え、スポーツにおける人間の可能性を示すものとして語られています。

おわりに:文化と技術の架け橋として

今日行われているトリックの大半はミューレンの発明に何らかの形でルーツを持つと言っても過言ではありません。トニー・ホークは自身の自伝の中で「ストリートの技はすべてフリースタイルに由来する。ロドニーがいなければ現代のスケートボードは存在しなかっただろう」と述べています。

スケートボードで頂点を極めたミューレンですが、その姿勢は常に謙虚でした。彼は「スケートボードはスポーツである以上に自己表現のアートだ」と語り、自らの内向的な性格と向き合いながらスケートボードを通じて自己を解放していきました。

現在もミューレンはスケートボード界のレジェンドとして敬愛され、講演活動や映像作品を通じてその哲学や経験を次世代に伝えています。競技シーンを離れて久しい今でも、新しいトリックのアイデアを考え続ける彼の姿勢は、多くのスケーターやクリエイターにインスピレーションを与えています。

ロドニー・ミューレンが残したトリック、映像、そして思想はこれからも色褪せることなく、スケートボードの歴史の中で輝き続けるでしょう。

ロドニー・ミューレンのインスタグラム

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参考文献・出典

インタビュー・本人証言

  • Rodney Mullen, “Pop an Ollie and Innovate!”, TEDx Talks, 2013

  • Tony Hawk, Hawk: Occupation Skateboarder, HarperEntertainment, 2000

  • Rodney Mullen, “The Secret to My Success”, The Ride Channel, 2015

  • “Rodney Mullen Interview”, Thrasher Magazine, 1992

  • “Rodney Mullen: The Most Influential Skater of All Time”, Jenkem Magazine, 2013

技・トリック

  • Wikipedia 日本語版「ロドニー・ミューレン」および英語版 “Rodney Mullen”

  • CALI Strong, “37 Skateboard Tricks Invented by Rodney Mullen”, 2020

  • TransWorld SKATEboarding, “Rodney’s Trick List”, 2001

  • The Berrics – “Rodney Mullen: Liminal” (2016 Video)

Powell-Peralta “The Bones Brigade Video Show” (1984), “Public Domain” (1988), “Ban This” (1989)


競技記録・大会成績

  • “Rodney Mullen Contest History”, Skateboarding Hall of Fame, 2016

  • “Rodney Mullen Biography”, Skateboarding Is Not a Crime, Vice, 2015

  • World Skateboarding Federation: Historical Rankings Archive (1980–1989)

  • Per Welinder Interview, SkateOne.com, 2004

  • “NSA Contest Results (1980–1989)”, Thrasher Archive, 2003

スポーツ科学・動作理論関連

  • Schmidt, R. A., & Lee, T. D. (2011). Motor Control and Learning (5th ed.), Human Kinetics

  • “Flow: The Psychology of Optimal Experience”, Mihaly Csikszentmihalyi, 1990

  • “Rodney Mullen and the Physics of Impossible Tricks”, WIRED, 2014

  • “Rodney Mullen Explains Context and Creativity”, Funkhaus.us, 2016

  • “Mullen’s Mind: The Neuroscience of Balance”, The Atlantic, 2017

  • Medium:The presence of non-linear pedagogy in the absence of a pedagog...

 

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