
デーウォン・ソンの不朽の伝説
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デーウォン・ソンの不朽の伝説
スケートボードを語るうえで、デーウォン・ソンに触れないわけにはいきません。彼の卓越したスキルと斬新なアイデア、そして長きにわたる活躍は、何世代ものスケーターに影響を与え続けています。
生い立ち:韓国からカリフォルニアへ
デーウォン・ソンは1975年2月19日に韓国のソウルで生まれました 。幼少期に一時期は祖母とハワイで過ごし、家族と共にアメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデナに移住したそうです 。ガーデナでの少年時代は、治安の悪い地域であり、決して安穏とした環境ではありませんでした 。このような環境の中で、彼は14歳の時、母親に買ってもらった安いスケートボードを通じてスケートボードと出会い彼の人生の転換点となりました。
プロへの道:「ワールド・インダストリーズ」と「ラブ・チャイルド」時代
デーウォン・ソンの才能は早くから注目を集め、ロサンゼルス南部のスケートショップから最初のスポンサーを受けました 。14歳頃には、地元の高校でスケートボードをしていたところを、ロドニー・ミューレンに見出されます 。そして1991年、16歳という若さで「ワールド・インダストリーズ」とプロ契約を結びました 。
ワールド・インダストリーズでは数多くのビデオ作品に出演し、その中でも1992年に発表された「ラブ・チャイルド」は、彼の名を一躍知らしめることになりました 。この「ラブ・チャイルド」の中で、デーウォン・ソンは世界で初めてハードフリップを映像におさめ注目を集めました。
その後、さらにロドニー・ミューレンとの親交が深まり、当初は師弟関係にありましたが、後にビジネスパートナーとなるなど、ミューレンの存在は非常に大きなものでした 。
1997年には、デーウォン・ソンとロドニー・ミューレンの対決をフィーチャーしたビデオ「ロドニー・ミューレン vs デーウォン・ソン」がワールド・インダストリーズからリリースされました 。このビデオは、当時のスケートボード界に大きな衝撃を与え、以後VSシリーズは3作品制作されました 。
スタイルの確立:技術革新と多様性
彼は、高度なスキルに加えて、斬新なアイデア、そして多様なスポット使いを特徴としています 。岩や木の幹など、他のスケーターが見過ごすようなスポットを使ったテクニカルな滑りを見ることが出来ます。ランプを使ったクリエイティブなスケートも特徴的で、Almostから2006年にクリス・ハスラムと、ミニランプを様々なギミックを駆使して滑るビデオ"Cheese & Crackers"をリリースして大きな話題となりました。
独特なセッティング
ロドニーミューレンが創業したテンサートラックを使用。フロントトラックのトップのブッシュを取り除きワッシャーを2枚入れるという独特なセッティングをしている事も知られています 。後ろのトラックは安定性向上のためにフロントよりは固く締めているそう。
ボードを超えて:ビジネスと起業家精神
彼は起業家精神にもあふれ、1998年には、ティム・ギャビンと共にアパレルブランド「マティックス・クロージング」を設立しています 。ワールド・インダストリーズを離れた後の1999年、デーウォン・ソンは「デカ・スケートボード」を共同設立しました 。デカは2002年まで3年間活動しました 。2003年には、ロドニー・ミューレンと共に「オールモスト・スケートボード」を共同設立しました 。そして2018年頃には、トーリー・パドウィルと共に「サンキュー・スケートボード」を共同設立しました 。
栄誉と評価:「スケーター・オブ・ザ・イヤー」と殿堂入り
デーウォン・ソンは1990年代後半から2000年代初頭にかけては、タンパプロで複数回優勝するなど、競技においても目覚ましい成績を収めています 。
また、2006年にスラッシャー・マガジンから「スケーター・オブ・ザ・イヤー」に選ばれました 。2012年には、トランスワールド・スケートボーディング誌の「史上最も影響力のあるスケーター」リストにランクインし、「TWSレジェンド」の称号も贈られています。2014年には、ベリックスのポピュリスト投票で最も影響力のあるスケーターに選ばれました 。サンキュー・スケートボードからは、彼の貢献を称える「ベネフィット・アワード・デッキ」も発売されました 。
これらの数々の栄誉は、デーウォン・ソンがスケートボードコミュニティにおいていかに深く尊敬されているかがわかります。
参考・引用 Wikipedia:Daewon song項