
【第二部】アメリカでの出会いと価値観の転換
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100年の釣魚文化を紐解く ― ブラックバスと日本人の軌跡
※本記事の一部には、史実に基づく内容に加え、当時の人物像や行動をもとに構成したフィクション(創作的再構成)を含みます。
そして今後は、アメリカで行われてきた科学的研究やフィールド調査をベースに、バスの生態・行動・管理の知識を深く掘り下げながら、日本での文化的な受け入れ方や、自然との共存の可能性について発信していきます。
※なお、当ブログではブラックバスの歴史的・文化的価値を掘り下げていく一方で、現代において行われる違法放流・無許可放流・密放流などの行為は厳しく非難されるべきであり、法令に基づく資源管理と倫理的な釣りの実践が絶対条件であることを強調しておきます。
本企画は3部構成にてお届けします。
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第1部:幼少期から留学までの赤星鉄馬
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第2部:アメリカでの出会いと価値観の転換
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第3部:帰国後の導入計画と時代背景
【第二部】アメリカでの出会いと価値観の転換
赤星鉄馬(あかぼし・てつま)は1877年(明治10年)、大阪に生まれた。
スポーツとしての釣り文化との衝突
フィラデルフィアでの学生生活のなか、鉄馬は週末になると郊外の自然に足を運ぶようになっていた。工業化の中心都市にいながらも、人々が「自然との関係」を大切にする姿に強く惹かれた。
特に、湖畔で目にしたのは、日本ではまだ一般的ではなかったスポーツフィッシングという文化だった。釣ることを「技術と戦略」として楽しみ、釣った魚は持ち帰らず再び湖へ戻す。そんな行動が、鉄馬にとっては革命的な思想転換となった。
「魚を戻す? 食べないのに釣る? それが“遊び”なのか……」
だが、それは確かに成立していた。そこには家族の時間があり、自然と戯れる中で育まれる教養があった。
鉄馬はその構造に目を見張った。
アングラーたちとの交流と思想の形成
鉄馬は次第に、地元の釣人と交流するようになる。彼らは決して富裕層ではなく、労働者や教員、職人たちだったが、釣りに対して強い哲学と倫理観を持っていた。
「湖にいる魚は、君のためにあるんじゃない。湖のものなんだ。」
そんな一言に、鉄馬は“利用のための自然”から、“共生のための自然”という思想に向き合わされていく。釣りを通じた教育や社会交流、さらに自然保護への意識。すべてが日本にはまだ根づいていない世界だった。
彼は、アメリカの釣り文化を単なる遊びとしてではなく、社会的な装置として捉え始めていた。
鉄馬の葛藤と夢
鉄馬はある晩、大学の講義で「余暇の社会的役割」についての議論に参加した。教授はこう言った。
「文化とは“役に立たないもの”が人間を形づくるのだ。」
この言葉は鉄馬に突き刺さった。
日本では“働くこと”や“産むこと”に価値が置かれていた時代。しかし、アメリカで鉄馬が見たのは、“遊ぶこと”にこそ教養が宿るという現実だった。
「日本にこの文化を持ち帰るべきか?」
鉄馬は揺れた。 ブラックバスという魚は、釣り人を惹きつけ、技術を必要とし、湖という空間の価値を高めていた。それを日本へ導入することは、単なる“魚の輸入”ではなく、“文化の持ち込み”に等しかった。
そして、彼は静かに決意を固める。
「この魚との出会いが、人と自然の関係を変える。」
次回の第3部では、赤星鉄馬が帰国後に直面した社会との摩擦、そして芦ノ湖への導入計画に至る苦闘の道を描きます。
※本記事に記された会話や心情描写(例:「Nice one. Let’s put it back.」などの記述は、当時の文化的背景や史実に基づく想像により再構成されたものであり、記録文書などに直接確認されたものではありません。実在の史料や文献に基づいた記述には可能な限り注釈を加えていますが、読者の理解を深めるために一部創作を交えた表現が含まれます。
参考文献・出典
※第二部(アメリカでの体験描写)に含まれる釣り文化との出会い、価値観の転換などの要素は、赤星鉄馬の史実に基づく行動や背景文化を参考にしながら構成されていますが、具体的な記録資料は現存せず、時代背景と米国文化資料に基づく創作的再構成を含みます。
- 国立国会図書館デジタルコレクション『官費留学生記録』
- 『大阪紡績会社史』(大阪紡績株式会社/編纂)
- 外務省記録『明治期官費留学生名簿』
- 『日本釣魚史』吉川弘文館
- 『芦ノ湖漁業協同組合90年史』
- 『バスフィッシング年表』内外出版社
- 米国スポーツフィッシング文化に関する現地資料・図録など
- 『赤星鉄馬 消えた富豪』(与那原恵 著、文藝春秋)
- Robert Boyle, *Bass Fever*(アメリカにおけるバス釣り文化史)
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🧭 **『赤星鉄馬 消えた富豪』(与那原恵/文藝春秋)**
実業家として、近代日本の交差点に立ち、ブラックバスを芦ノ湖に導いた男の真の姿を描くノンフィクション。