
【第三部】帰国後の導入計画と時代背景
Share
100年の釣魚文化を紐解く ― ブラックバスと日本人の軌跡
※本記事の一部には、史実に基づく内容に加え、当時の人物像や行動をもとに構成したフィクション(創作的再構成)を含みます。
そして今後は、アメリカで行われてきた科学的研究やフィールド調査をベースに、バスの生態・行動・管理の知識を深く掘り下げながら、日本での文化的な受け入れ方や、自然との共存の可能性について発信していきます。
※なお、当ブログではブラックバスの歴史的・文化的価値を掘り下げていく一方で、現代において行われる違法放流・無許可放流・密放流などの行為は厳しく非難されるべきであり、法令に基づく資源管理と倫理的な釣りの実践が絶対条件であることを強調しておきます。
本企画は3部構成にてお届けします。
-
第1部:幼少期から留学までの赤星鉄馬
-
第2部:アメリカでの出会いと価値観の転換
-
第3部:帰国後の導入計画と時代背景
【第三部】帰国後の導入計画と時代背景
赤星鉄馬(あかぼし・てつま)は1877年(明治10年)、大阪に生まれた。
文化を持ち帰る”という覚悟
アメリカでの経験を胸に、日本へ帰国した赤星鉄馬は、明治から大正へと移り変わる日本の空気の中で、自身の思い描いた「釣魚文化の導入」という構想を形にしようとしていた。
だがそれは、一部の好奇心や道楽では到底届かない、国家観や自然観の違いそのものと向き合う試みでもあった。
「魚を釣って、逃がす」――その価値観は日本の常識とはまるで異なり、当時の社会では釣りは“生業”あるいは“子どもの遊び”としか認識されていなかった。
鉄馬は行政にも働きかけ、教育・経済・観光といった観点からスポーツフィッシングの文化的価値を語ったが、理解者は少なく孤立無援ともいえる状況だった。
「ただの“遊び”に、そこまで情熱を注ぐ意味があるのか?」
そんな声に、何度も心が揺れた。
芦ノ湖という選択
赤星が最終的にブラックバスの導入地として選んだのは、神奈川県箱根の**芦ノ湖(あしのこ)**だった。
標高720メートル。澄んだ冷水、富士の雪解け水、緑に囲まれた景観。近代観光地として発展の兆しが見えはじめていたこの場所に、彼は“文化と自然が交わる湖”の未来を重ねた。
「人が魚と向き合う場として、ここはふさわしい」
実際、芦ノ湖はすでにヒメマスやウグイの放流実績があり、水産試験場との連携も取られていた。バスの導入も“突飛な話”とは取られなかった。
1925年、ついにブラックバスが芦ノ湖に導入される。アメリカから空輸された卵または稚魚が育成され、湖へと放たれた。
※導入されたのが「卵」であったか「稚魚」であったかは、正確な一次資料が残されておらず諸説あり。芦ノ湖漁協や釣具メーカーなどの記録でも見解が分かれている。
葛藤
「本当に、この魚が日本で受け入れられるのか……」
彼は迷った。文化と自然を繋げたいという想いが、むしろ摩擦を生み始めているようにも感じた。
だが彼は信じていた。魚を通じて自然と向き合う“もうひとつの在り方”が、きっと日本にも根づくはずだと。
その思いは、少しずつ形になっていく。
バスフィッシングを目的に芦ノ湖を訪れる人が増え、やがて全国各地にもその文化は波及していった。
そして100年後のいまへ
2025年――。赤星の放流から100年の節目を迎える。
ブラックバスをめぐる状況は、かつてとは大きく変化した。今日では外来魚の新たな放流は法律で禁じられており、生態系への影響や管理の問題が社会的に問われている。
※「特定外来生物に関する法律」や自治体ごとの条例により、ブラックバスの新規放流は禁止されている。違反行為は罰則の対象となる。
一方で、全国にはバス釣りによって生活の一部を支えている人々がいる。湖のレンタルボート業者、釣具店、観光業、ガイド。彼らはバスと共に地域を守り、文化を支えている。
釣りは「誰かの仕事」であり、「誰かの思い出」であり、そして「誰かの未来」でもある。
かつて、お父さんに釣りを教わった少年が、今では自分の子どもと湖畔に立つ。
おじいちゃんに連れられて釣った、あの1匹を今でも覚えている。
友達と夜明けを待ちながら語り合った、静かな水辺の朝――。
そんな“時間”こそが、釣りという文化を受け継いできたのではないか。
「だからこそ、魚と文化の両方を守る責任がある」
今、必要なのは二項対立ではない。「釣る」か「守る」かではなく、「どう向き合うか」という選択肢。
そしてもうひとつ――釣りを未来につなげていくために、文化として継承することの大切さである。
赤星鉄馬のように、「楽しむ」ことの中に「考える」ことを持ち込んだ先人の姿を、今こそ思い出すべきなのかもしれない。
1925年、赤星鉄馬が芦ノ湖でリリースしたあの1匹――。
100年の時を経て、私たちはその魚と、いま再会しているのかもしれない。
釣りあげ、手にとって、そしてリリースする。
また会いたいから。
その想いが、文化となり、時間を越えていく。
また、湖で会いましょう。
※本記事に記された会話や心情描写(例:「Nice one. Let’s put it back.」などの記述は、当時の文化的背景や史実に基づく想像により再構成されたものであり、記録文書などに直接確認されたものではありません。実在の史料や文献に基づいた記述には可能な限り注釈を加えていますが、読者の理解を深めるために一部創作を交えた表現が含まれます。
参考文献・出典
※第二部(アメリカでの体験描写)に含まれる釣り文化との出会い、価値観の転換などの要素は、赤星鉄馬の史実に基づく行動や背景文化を参考にしながら構成されていますが、具体的な記録資料は現存せず、時代背景と米国文化資料に基づく創作的再構成を含みます。
- 国立国会図書館デジタルコレクション『官費留学生記録』
- 『大阪紡績会社史』(大阪紡績株式会社/編纂)
- 外務省記録『明治期官費留学生名簿』
- 『日本釣魚史』吉川弘文館
- 『芦ノ湖漁業協同組合90年史』
- 『バスフィッシング年表』内外出版社
- 米国スポーツフィッシング文化に関する現地資料・図録など
- 『赤星鉄馬 消えた富豪』(与那原恵 著、文藝春秋)
- Robert Boyle, *Bass Fever*(アメリカにおけるバス釣り文化史)
🛒 関連商品・おすすめリンク
この記事の内容に影響を与えたおすすめ書籍
🧭 **『赤星鉄馬 消えた富豪』(与那原恵/文藝春秋)**
実業家として、近代日本の交差点に立ち、ブラックバスを芦ノ湖に導いた男の真の姿を描くノンフィクション。